プライドの高い優等生キャラだった私がストレスフリーの自由人に生まれ変わるまで
1ヶ月に1回ブログを書こうっていうのを新年の目標で決めたので、ちゃんと守ろうと思いまして。
今年2回目だしね。(とか言いつつ、移動時間長いのに通信制限になったからというのがブログ書いてる主な理由だったりする)
目標だけじゃ味気ないんで、普段考えてることも書こうかなと思いまして。(目標秒で書き終わって暇だから)
だから、今回は「自分の大学生活」について総まとめ編。もう社会人になっちゃうし。次の回は社会人の抱負について書こうと思ってるし。
●大学4年2月の現在●
最近、「自由人だよね」って言われることが増えてきたんですね、私。
私自身、自由人として生きたいとか1ミリも思ってなかったし、今まで言われたこともなかったので、性格変わったのかな、って。
それに対していろいろ思うことがあったからそれについて書こうかな。
まず、「自由人」と言われてどういう印象をもってますかね?
以下、私が思う自由人像なんですけど、
〇自分の興味のままにやりたいことをやる人
〇束縛されるのが嫌いな人
〇マイペースな人
上記の3点、全て当てはまるんですよね、私。
こんなに自由人に育っちゃって、、お母さん感激!とはならないです。自由人の子供育てるのは大変です多分。
以下に「プライドの高い優等生キャラだった私がストレス少なめの自由人に生まれ変わるまで」のフローを書いたので、暇だったり興味があったりしたら読んでいただけると、私が喜びます。
画面の外からあなただけに投げキスしちゃいます!!!
あ、いらないですかね、すいません。
●中高、優等生時代●
私もともと多分そんな自由人じゃなくて、
だって、校則は1回も破ったことなかったし、親の言うことは素直に聞いてちゃんと守ってた。
どこにでもいる優等生だった。
でも優等生って、(主に私)自分も頑張ってる分、他人にも厳しいじゃないですか、周りの成績悪い友達を心のどこかで見下してたんですよね。そしてかなりの合理主義。プレゼントは気持ちよりもモノ重視。完璧主義で、自分の意見を曲げないから、友達としばしば仲違いをする。
そんな自分が大っ嫌いだった。他人には自分と同じ頑張りを押し付けたくなかったし、プレゼントを気持ちで嬉しいと思える人になりたくて、いつも悩んでた。いじめられて、いじめて、人間関係で悩まない日なんて1日もなかった気がする。
お風呂の時間は大抵1日の反省会を開いてた。あんなこと言わなきゃよかったとか、なんでこう言う風にしか伝えられなかったんだろう、絶対嫌われた、とか、あの時あう言う発言されたけど、〇〇ちゃんは私のこと好きじゃないんだろうなとか。
中学、高校の反省会開いてる時の口癖が、「ごめん」「(自分が)死んだほうがマシ」「ほんとごめん」だったから、今もよく呟いてしまう。
中学、高校の時の私のプライドは高かったらしい。自覚なかったけど、大学入った時に昔の友達からそう言われた。
●大学時代●
そんな私の性格が変わる転機になったのが受験。
自分なりに頑張ったけど、そんなに自頭が良くない上、面倒くさがりな性格が祟り、全滅。自分が目指してた大学の何ランク下だよって大学に入学。
大学の入学式で、情けなさすぎて泣きそうだった。
当初はその事実から目を背けたくて、同じ大学の友達ともあんまり仲良くなる気がなかった。
自分で自分を全く認められなかったし、プライドはズタズタだった。大学受験失敗で、親からの扱いも急変したのもあって、大学1年は病んでた。今まで親からは「大学に行けばずっと遊んでられるから、高校までは頑張って勉強しなさい」って言われて頑張ってたのに、大学受験失敗した途端、「そんな学歴で遊べると思ってるの?仮面浪人して大学入り直しなさい」って言われて、門限10時で生活を管理され、家に帰ると勉強がどうだと怒鳴りつけられる日々を送ってた。
学歴コンプレックスが山のようにそびえてた。
そしてこの件で、誰かに行動を縛られるのを極度に嫌がるようになった気がする。
(今でも彼氏から束縛されるのが嫌いで、飲み会だったり、遊びだったり、自分のやりたいように行動してしまう。)
でも、同じ大学の友達と仲良くなると同時に世の中の広さを知った。っていうのは、世の中には大学行ってない人もいるし、まぁ世間の上位1/4くらいには入れてるんじゃないかって許容できるようになったってだけだけど。(当時は私の価値観が学歴に大きく偏っていたのもあってそう考えていましたが、大学に行ってないから上位に入れないとかそういう意味ではないです)
あと、今から思えばとても荒治療だったと思うけど、東大のインカレに入ったのも学歴コンプレックスを無くすのに大きく貢献したと思う。
最初はそうとは知らず、ただ就活で有利になるようにってボランティア系のインカレの探してて、たまたま見つけて体験行ったら「東大だったの!?」ってなっただけだけどね。
成り行きで入っちゃったけど、東大の人にまず話しかけられなかったし、こんな私がしゃべっていいのだろうか、、こんな頭のいい方の時間をいただいておしゃべりするなんて申し訳ないと思ってた。
恐怖(?)の対象でしかなかったけど、それも一緒にサークル活動をしていくうちに薄れて、東大の人でも一般の人とそんなに代わりはないんだなと思えるようになった。(よくそんな風に思っててサークル入れたよなと思うけど、昔から度胸だけはあった)
その頃くらいから学歴が高い人に対して、劣等感を抱くのではなくて、違いとして認められるようになった。
今思うと私の大学生活は自分の理想の性格を追い求めるのに必死だった気がする。
(言葉にすると陳腐だけど、私の理想は「自分も周りも幸せになれる」生き方だお。)
とにかく他人になにかを期待するのを辞めたくて、他人は他人としてそのまま許容できるようになりたくて、私は変わりたかった。
高校で友達とうまく仲良くなれなかったのが嫌で、なにかを決めるときは自分の希望を即伝えるのではなく、友達とすり合わせながら、決めるようになった。
他人に厳しくしないために、私は自分にも厳しくするのをやめた。
その結果、
〇自分のしたいことは特になく、その場の雰囲気でやること行くことを決める
〇「なんでもおっけー、何事も適当に」が身についたため責任感が薄れる
〇基本的に自分に甘くを心がけたので、金銭面、時間面共にだらしなくなる(基本的に15分遅刻など)
ってことになってしまった。
良いように言い換えれば、
→特に希望もなく行動するから、期待値0で変に失望することがないから物事をハッピーに受け取れる
→こだわりがないから、他人との意見の衝突はないし、ストレスなく他人に合わせられる
→自分にも甘いから、他人に対しての許容範囲が広がった
まぁ昔よりハッピーに生きれるようになったし、他人にイライラすることもだいぶ無くなったし、気持ちに余裕が持てるようになった分、他人からも好かれるようになった。流されやすくもなった。
だけど最近変わりたくて変わったはずなのに、変わりすぎたなとも思う。
時間に遅刻するのは辞めたいし、
「なに食べたい?どこ行きたい?」って聞かれた時に、「んー特に希望ない」っていうのは自分でもめんどくさいと思うから
ちゃんと希望を伝えたいなと思う。
「変わる」って難しいと思う。
でも、なんだかんだ、人は良くも悪くも変わる生き物だし、周りに影響されながら生きてるし、確かに歳をとれば取るほど変わるのは難しいって言われてるけど、
これからも理想をめざして変わっていきたいなと思う。
真面目なお話になっちゃいましたね、もう少し面白く書きたかったんですけど、才能ないですね、お笑いの。
あと2月の目標は「準備ちゃんとして、旅を楽しむ」にしますね。ヨーロッパ周遊1人旅行ってきます🛫(今までの話との関連性0)